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加古川情報わがまちねっと > 特集:樹悳堂〜今も残る加古川宿 陣屋〜

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樹悳堂
今も残る加古川宿 陣屋

加古川には江戸時代、旧加古川宿としての面影を残す建造物がある。

姫路藩の加古川役所の建物が残った「陣屋」もその一つだ。
明治天皇御巡行の際、休憩所としてご利用になられたこの建物は、江戸期に姫路藩の加古川役所として建てられた。
明治に入り旅館「増田屋」となった後「日本毛織加古川工場」の社員サロンとしても利用され、平成の時代となった今は加古川市指定有形文化財としてその歴史の重みを伝えている。私達は寺家町商店街ホームページの取材中、特にお願いして案内していただいた。

商店街の西の端、「人形の陣屋」の裏にそれはある。マスコミや各種機関からの取材も多々あるようで、快く取材に応じて下さった現当主は物腰のおだやかな男性だった。
いただいた案内のチラシにはその由来が記されてあった。
商店街側に庭に続く入り口があり、案内していただく。

建物の手前右側に赤い鳥居。庭に鳥居があるのだ。ちゃんと社もあり、正一位「天幸稲荷大明神」。100年も前に姫路から移設された。


建物に通していただく。

入り口にはついたてがありその奥に次の間、そして30畳ばかりある、三部屋続きの広間に通していただいた。
庭を眺める広縁には旅館「増田屋」の面影を残す椅子、テーブルが置かれていた。


そして軒下には10メートル以上ある広縁の端から端まで、一本の丸太が通っている。このような材木は今は使われる事もないだろう。


コーヒーをいただきながらお話を聞いた。明治天皇は此処でお休みになり御昼食を取られた。
当時としてはよほど大層な事だったらしく、それを記念した絵葉書なども作られている。
部屋の一番奥、一段高く明治天皇の御座所。
その前に座らせていただいて庭を見る。
「駐輩之処」の碑は座って眺める人のために、刻まれた碑文を向けてくれている。



当時23歳であられた天皇は百官諸々を従えて西国街道をご巡行になられた。
その中には兵庫県知事であった後の初代首相「伊藤博文」の名もあった。

明治8年と言えば西南戦争前で、明治政府の統治もまだ磐石ではなかった時代と思われる。
その時代の御巡行であったので、やはりこれは大層にならざるを得ない。
その通達は巻物でなされている。

天皇が使われた「御食箸」は二度と使われる事の無いよう、二つに折られて保管されている。

まあ京都生まれの明治天皇とすれば久々の関西を懐かしまれたに違いない。実は東京都に移られたのは皇室として正式の遷都ではなく、ちょっと行ってくる程度のものだったらしい。そのちょっとが今も続いている。


大役をはたした「増田屋」であったが、その後も旅館としての営業を続けた。

常連客の中には、日本画家「橋本関雪」の名もあった。

そして、隣接する「日本毛織加古川工場」の社員サロンとして使われ始め。その時代を知る当主の話では、仕事の後の一時を楽しむ社員達で毎夜賑わっていたらしい。
当時は庭木の剪定も含めて、建物の維持管理全てが日本毛織の負担でなされていた。

今はその時代も終わり、「増田屋」も閉めた陣屋は加古川市指定有形文化財の指定を受けたが、日本毛織の補助もなくなり序々に傷みが出始めている。
加古川市の援助と当主の私財だけでだけでは、築後250年経った建物の維持は難しいらしい。新たな援助の道が望まれる。

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